「ぬうううううう…」

夕焼けに沈む人気のない森。
その道路の中央で、なにやら唸りながら木刀を掲げている竜の姿。

「……なあ、どれくらい経った?」
「もうじき二時間」

「っかあああぁぁぁぁぁぁ! もうそんなかよ!?」

リゼルグの素っ気無い返答に、痺れを切らしたホロホロが叫んだ。
そして竜に向かって、

「おーい、いい加減諦めたらどうだ、竜! そう都合よく現れねえよ」
「五月蝿ェ! アイツと俺の友情は、そんなちゃちなモンじゃねぇんだよう! …そうだろ、ビリー!」

竜が夕焼けに向かって訴える。
――そう。
一体どんな理屈なのかは皆目不明だが、何故か竜お得意のオーバーソウル・ビッグ親指が発動すると、アメリカへ到達して早々世話になった トラック運転手のビリーが何処からともなくやってくるのだ。
その特性を活かし、夜になる前にどうにか次の街へ着こうと、竜がビリーを呼ぶ為とオーバーソウルをしたのは良かったのだが。
かれこれ二時間、彼等はこの状態だった。
それだけ待てば諦めも付こうというもの。
だがそこは木刀の竜、なかなかしぶとかった。

(竜さん……だいじょうぶ、かな?)

二時間そのまま、ということは、二時間ずっと竜はオーバーソウルしていることになる。
彼がタフなのは知っていたが、それでもやはり心配そうには見つめた。

ふぅ、と隣で小さなため息が聞こえる。
ちらりと横を見てみると、リゼルグだった。
どこか物憂げな目をして、ぼんやりと竜を眺めている。

「―――、どうしたの?」

視線に気付いたリゼルグが、不思議そうに此方を振り向いた。

「え、ううん…何でもないっ」
「そう?」
「っ……」

まただ。
ただリゼルグが微笑んだだけなのに――
どうしてか目を合わせられなくなってしまう。
なんでだろう?
何だか胸の奥が、疼く。



ふとその時、子供の笑い声を聞いたような、気がした。



「…―――…?」

だけどそれは、ほんの一瞬のことで。
辺りをきょろきょろと見回しても、確認できるものは何もなかった。

(今の……何…?)

別に悪い感じではなかった。
悪戯っ子のような、そんな茶目っ気を含んだ気配。
気のせい…だろうか?

?」
「あ、な、…なんでも、ないよっ」

きょとんとしたリゼルグに、我に返ったは慌ててそう告げた。
すると、「変な」とまたくすりと彼が笑う。
その瞬間、子供の笑い声のことは頭の中から吹き飛んでしまった。
代わりに胸一杯に広がるのは―――不思議な感覚。

“変な

……ほんとに、自分でもそう思う。

どうしちゃったんだろう、わたし。
この間―――リゼルグと喫茶店で話してから、ずっとこう。
何か明確な理由があるわけでもないのに。
彼に微笑みかけられただけで。
彼に話しかけられただけで。

どうしてこんなに、へんな気持ちになるんだろう…

その光景を、横目で見ている者が二人。


一人は葉。
その気まずいわけでもない、むしろ何処かほのぼのとした雰囲気の二人を、意外そうに見つめている。
そしてもう一人――

「………」

まるで無理矢理引き剥がすように。
蓮は、視線を外した。





「……巫力、切れてんじゃねえかよ」

ホロホロがぽつりと呟く。
見れば、とっくに竜の巫力は尽きて、その手にはただの木刀しかなかった。

仕方なく一行は、野宿にちょうど良い場所が見つかるまで道路を歩くことにした。












□■□












にんげんだ。
にんげんがきたよ。
しかもシャーマンばかりだ。

はなしできる、かな?
あそんでくれる、かな?

あそぼう
あそぼう
あそぼう



ねえ 星乙女さま―――













―――がくん

唐突な揺れに、ハッとは目を醒ました。
ぼんやりと視界に移るのは――古ぼけた座席の背もたれ。

あ…そっか。

ようやく思い出す。
星だけが照らし出す薄闇の道路を、みんなで歩いていた時。
運よく通りかかったワゴン車があって…

乗っていたのは、近くの小さな街に住んでいるという老夫婦。
優しそうなおばあさんと、ちょっとひょうきんな口調のおじいさん。
彼らの話によれば、この周辺はやたらと田舎で人通りもほとんどないということ。
親切な老夫婦は街まで車に乗せて行ってくれるだけでなく、家に泊まりに来なさいとも言ってくれた。
断る理由もないから、お言葉に甘えてみんなで後部座席に座らせて貰って――

疲れていたのか、気付かぬうちに眠りこんでしまったらしい。

「あ、、起きた?」

隣に座っていたリゼルグが、そう囁く。
まだ完全に眠気の抜けない目を擦りながら、

「う、ん…」
「着いたみたいだよ」

その声と同時に、キキッとブレーキの音がして、車が止まった。












□■□












出された夕食は、しばらく缶詰ばかりだった胃袋にはとても美味しかった。
一つ残らず平らげたホロホロが、椅子に凭れながら膨れ上がった腹を叩く。

「はぁー、食った食った」

その姿に、隣に座っていた竜が顔を顰めた。

「おい、オメー。寛ぎ過ぎだぞ! ―――すいやせん、しつけがなってないもんで」

正面に座る老夫婦に謝りながら、『しつけ』の部分をやたらと強調する。
すると当然それを聞きとがめたホロホロが、

「んだとてめえ! オレの親を馬鹿にすんのか!」
「されたくなかったらちゃんとしやがれ」

(………ホロホロってば)

そのお決まりながら、どこかとんちんかんなやり取りに、は思わずくすりと笑ってしまう。
確かに夕食は美味しかった。
だから、ホロホロの満腹感もわからなくはないのだけど。

「こらー! お前も何笑ってんだよ!」

それに気付いたホロホロが、顔を真っ赤にして叫んだ。
そこへ、おばあさんもくすくす笑いながら、

「いいのいいの。自分の家だと思って寛いでちょうだい。楽しく行きましょう?
 あれだったら、あの――しばらく泊まっていってもいいのよ?」
「おお、おお、それはいい。遠慮はいらんから、好きなだけいてくれ」

食後のパイプをふかしながら、隣のおじいさんが同意した。
思わず心が動かされてしまうような―――少しぐらいならいいかな、と思わせてしまうほど、和やかな空気が流れる。
―――しかし。

「いえ。先を急ぎますから」

リゼルグのきっぱりとした言葉が、その空気を打ち砕いた。
余りに整然とした口調に、「はっきりしてんな…」とホロホロと竜の声が思わずハモってしまう。
もびっくりしてリゼルグを見やる。

確かに急ぐ旅なのはわかっている。
だが断るにしても、もう少し柔らかい言い方だって出来る筈なのに。
そう、彼ならそれぐらい造作もないことだろうに。

意外だった。

(…リゼルグ…?)

ふと感じ取ったのは――――――焦り?

夫婦の顔が見るからに曇った。

「どうしていてくれないの…? 二三日のんびりするくらい良いじゃない」
「それとも…年寄りの相手は退屈か?」
「あ…」

おじいさんの寂しげな視線を受けて、リゼルグが戸惑いの声をあげた。

「い、いえ、そういうことではなくて…」

慌てて言い繕う。
その普段と変わらぬ彼の様子に――
先ほどの歯に衣着せぬきっぱりとした物言いが、彼にとっては無意識だったことがわかる。

他人を気遣う余裕がないほど―――リゼルグは、焦ってる…?
確かにパッチ村に着くのに、時間はかかっているけど…でも、どうして…そんなに。
少しだけ、引っかかる。
今まで見てきた彼は、確かに性格ははっきりしていたけれど……どんな時でも相手を気遣うことの出来る人だったから。

そんなリゼルグを、「あーあ」とジト目で見つめていたホロホロが、竜に殴られた。



結局リゼルグが必死にきちんと説明するも、老夫婦の顔が晴れることはなく、部屋の準備は出来ているからと告げてそのまま寝室へと引っ込んでしまった。












「―――リゼルグ」

夕食の片付けもそこそこに、用意された客室へと向かう途中。
月明かりに照らされた廊下を歩きながら、はリゼルグを呼び止めた。
理由は勿論―――先ほどの彼の様子。

その彼は、ぴく、と一瞬固まったあと。

「……どうしたの、?」

ゆっくりと振り返ったその顔は、確かにいつもの柔和な微笑を浮かべる彼のものだった。
だけど。
それが逆に、不安を煽る。

思い返してみれば、ついこの間。
あのミリーという少女のオラクルベルが、他の不逞なシャーマンに奪われてしまったことがあって。
それを取り返す手伝いをした時だって。
彼は―――

「あの、リゼルグ、」
「…さっきは、ごめん」
「え…?」

が口を開きかけたその時、リゼルグが不意にそれを遮った。

「さっきの僕の言葉…気にしてたんでしょ?」
「…え、あ…えっと」

それは、確かにそうなのだけれど。
まさか本人から言い当てられるとは思っても見なくて、は返す言葉を見失ってしまった。
その様子に、リゼルグがまたふっと微笑んで。

「でも大丈夫。何ともないから」
「で…でも、リゼルグっ…」
「おやすみ。ももう寝た方がいいよ」

戸惑うの頭をくしゃりと撫でると。
そのままリゼルグは扉を開け、部屋へと入ってしまった。
気付けば、扉の『GUEST ROOM』の文字が、黙ってを見下ろしていた。

―――そう。
あのおばあさんが、「女の子はひとりで大変でしょう」ともう一つ小さな客室を、用意してくれたのだ。
ホロホロ達が泊まるような大部屋ではないにしろ、それは勿体無いくらいの配慮で。
その部屋は、もう少し廊下を進んだところにある。

「…―――……」

は不安げに扉を見つめた。
リゼルグ…
彼自身はああ言ってはいたけれど。

ぜんぜん、だいじょうぶには、みえないよ…

しかし再び扉をノックしてリゼルグに会うのも気が引けて。
仕方なくは、自分に用意された部屋へ向かおうと、くるりと踵を返す。

そこへ。



「…!」
「……あ…」



ばったりと目が合ったのは。

(蓮……)

だが、お互いの視線が合ったのはほんの数秒で。
すぐに蓮の金瞳が下を向き、無言での横を通り抜ける。

あ―――

「…れ、蓮!」

ぴたりと。
彼の足が、止まった。

「あの…」

その背中に。

「…お―――………おやすみ、なさい…」





「―――ああ」

蓮は振り返りもせず、ただ小さく頷くと。
リゼルグと同じように扉を開け、部屋へと入っていった。
ぱたんと閉まる音が、静かな廊下に響いた。

「………」

言い様のない苦しさを抱えながら、はゆっくりと部屋へ向かった。












白い電灯の下。
一人用のベッドに横たわりながら、はぼんやりと窓の外を見つめていた。
備え付けのカーテンは引いていない。
窓の外は月明かりに照らされ、まるで深海に沈んだような、蒼の闇が静かに広がっていた。

部屋は、明るい筈なのに。
まるで夜の闇が染み込んで来るように感じる。
境界線が曖昧になる。
少しずつ、少しずつ。
侵食されていく。

「………」

もう、どうしたらいいのかわからない。
リゼルグも気になる。
蓮も気になる。
心配なこと、不安なことがたくさんあって。
一体どれから手をつけていいのかわからなかった。

リゼルグのこと。
彼のあの様子。
焦り。
余裕のなさ。
そして、彼の笑顔―――あれを見ると、落ち着かなくなるのは、何故?
鼓動が早くなる。
まるで熱が出たみたいに、かっと顔が赤くなって。

――――だけど…

そのあと襲うのは、猛烈な、罪悪感。

それは、どうして?
何に対して?


蓮のこと。
突然ひらいてしまった距離。
縮まることなく、それは今日まで続いている。
呼びかけても―――此方を見てくれない。
何故?
どうして?

(……わたしが、足手まといだから…?)

ぎゅっとは拳を握り締めた。

嗚呼、駄目。
リゼルグに言われたこと、忘れちゃ駄目。
厳しくも励ましてくれた言葉を…忘れちゃ駄目。

弱いと思うのは、とても簡単なこと。だけどそれは――楽に、なってしまうこと。
目の前に横たわるすべてを、切り捨ててしまう言葉。思うだけで、許された気になってしまう。
それは……逃げるのと、同じ。

そう思うように、なった。

―――でも、でも。



じゃあコレは、一体どうしたらいいんだろう?



色々な考えが、ぐるぐると頭の中を巡る。
ぐちゃぐちゃになる。
どうしたらいいの。
どうしたら、いいんだろう。





不意にその時、森の奥で何かが光った気がした。





「え…――――?」

思わず起き上がる。
目を凝らして、闇の中をじっと見つめていると――

コンコン

「……っ!」

部屋の扉が鳴った。
思わずの身体がびくりと引き攣る。
すると。

「―――夜分遅くにごめんなさい、ちょっといいかしら…?」

申し訳なさそうに扉を開けたのは、おばあさんだった。












□■□












「本当にごめんなさいね、もしかしてもう寝るところだった?」
「いえ…」

ぱたぱたとやけに大きく足音が響く。
しん、と静まり返った夜の廊下。
もう寝てしまったのか、他の彼らの声も聞こえない。
照明が点いているのに、やはり闇の領域の方が大きく、どこか薄暗かった。

おばあさんの後をついていきながら、は尋ねた。

「あの、それで………なんでしょうか。おねがいって」
「ええそれがね…」

おばあさんがぴたりと足を止める。
その先には―――玄関の大きな扉。
外に何があるのだろうか。

内心首を傾げるの前で、おばあさんがゆっくりと扉を開けた。
夜のひんやりとした空気が頬を撫でる。
青白い月が見えた。

「―――此方へいらして」

その声に我に返る。
見れば既におばあさんは歩き出していて、慌ててはその背を追いかけた。
そのまま、寝静まった街並みを突き進んでいく。

(……―――あれ)

両端に並んだ家並みを、横目で見ながら……ふと疑問に思う。
気配が、ない。
たとえ田舎であれ、これだけ家が並んでいれば少しぐらい人の気配はある筈なのに。

それがない。
まるでゴーストタウンになってしまったかのように。

(どうして…?)

だがそんな疑問をよそに、おばあさんはどんどん進んでいく。

青白く照らされた道。
まるで海の底に沈んでしまったかのよう。
そこに広がる景色は確かに現実のものなのに。その筈なのに。
どこか、幻想的な光景。

その街を迷い無く進んでいくおばあさんの背中。
はついていく。
背後に吸い込まれていく家並み。

まるで永遠に続いていきそうな、時間。

(…そんなこと、あるわけ、ないのに)

首を振り、慌てておかしな思考を消し去る。
きっとまだ疲れているんだ。そうだ。

そう考えながら歩いていくと――
やがて着いたのは、町外れにある森。
そう、達が夕方通り抜けてきたあの森の、入口だった。

「あの、ここ…」

何があるんですか、と。
恐る恐る尋ねようとすると。

「―――あなたを、待ってたんだ」
「え…?」

不意に聞こえたのは…おばあさんの声?
でもそれにしては若々しい声で。
おばあさんが此方を振り返る。
その顔に浮かぶのは、優しげで柔和で、それでいて小さな子供のように無邪気な、笑み。

夕方森で感じた、あの気配のような。

「あ―――」

その途端。
森中が淡い光に包まれた。












大地から、木々から、空から。
四方八方から無数の小さな光の玉が飛び出し、の周囲に集まってくる。
そのお陰であたりは昼間のように明るかった。
間近で見る光の玉はどこか―――あたたかい。

「あれ……」

ふとおばあさんの方を見ると。
どこにもいない。
残っていたのはあのおばあさんの物と思しき洋服と――小さな丸太。
まるで、抜け殻のように。

はゆっくりと周囲を見回した。
何となく、わかる。感じる。

―――ああ、これは。

「あなたたち……精霊?」

その問いかけに答えるようにして。
ぽんっ、と軽い音がして、ひとつの光の玉が子供の姿に変わった。
まるで掌に乗ってしまうくらいに小さく、背中には羽。
そして微弱ではあれど、確かに帯びている霊気。
それは、冬の空のように澄み切って、純粋な。

『あそんでっ』

外見に似つかわしい、可愛らしい声でその精霊は言った。
それを合図に、他の光の玉も次々と音を立てて子供の姿になる。

『あそんで! あそんで!』
『あそぼうぜ!』
『シャーマンに出会うなんて久しぶりだからさあ!』
『なあ、あそぼうよー!』

「――――…わ、わわ…」

いきなり怒涛のように押し寄せた精霊たちに、思わずたじろぐ。
その様子に気付いたのか、ひとりの精霊が大きな声で言った。

『おい、そんなに一気に言ったら、わかんないだろ!』

せっかく来てくれたのに、と腕組みをしながら注意する。
その一喝に、他の精霊たちも慌ててから離れた。
リーダー格なのだろうか、その注意した精霊が近付いてきた。

『ごめんな、いきなり呼びだして』
「う、ううん……だいじょうぶ、だけど…………もしかして、あなた」

あのおばあさん? と。
何となく聞き覚えのある声に、尋ねてみる。
するとその精霊は、嬉しそうに羽をぱたぱたとさせながら、『うんっ』と頷いた。

「でも…どうしてわたしを呼んだの?」

と、さっきからずっと疑問に思っていたことを訊く。

『この街には、随分前に人間達がみんな去ってから、ずっとおれ達しかいなかったんだ。 そんな中、シャーマンファイトに出場するシャーマンのお前らがやって来て……久々に遊んでもらえるかなって』

精霊は、へへへっと照れたように頭を掻いた。

『―――なあなあなあ!』

不意に、別の精霊が割り込んできた。

『お前、詩、うたえるんだろ! なんかうたってくれよ』
「え……?」

はびっくりして目を見開いた。
どうして、それを――
すかさずさっきの精霊が、割り込んできた精霊に噛み付いた。

『おい、あんまりわがままばっか言うなよ!』
『何だよー、お前だって星乙女様が来てくれるってわかったとき、あんなにはしゃいでたじゃないかっ』
「ま、待って、けんかしないで」

今にもつかみ合いになりそうだった彼らを、慌てて止める。
お互い恨めしそうに睨み合いながら、渋々引き下がる精霊たち。

「ねえ、どうして―――どうしてわたしが“星の乙女”だって知ってるの?」
『知ってるもなにも、ここらへんじゃ有名な話だぜ。なあ?』

という言葉に、周囲に漂っていた他の精霊たちが『うんうん』と一斉に首肯した。

「有名なの?」
『ああ。何せ五百年に一度しか生まれてこない、この世界の創造主。この星で、グレート・スピリッツに最も近い存在。 そんな雲の上の上にいるような方が、まさかこんな辺鄙なところに来るとは思いも寄らなかったからな。 そりゃおれ達下っ端精霊の間でも、噂は広まるさ』

世界の創造主…の化身。
そういえば、この間シルバさんがそんなことを言っていたっけ。
だけど――
本当のところは、実感なんてほとんど湧かないのが本音で。
そんな途方もない話……今の自分にはまるで、おとぎ噺のようだった。

『だから、さ! ―――せっかく来て貰えたんだし……これも何かの縁だと思って、何かうたって貰えたらなーって』

先ほど割り込んできた精霊が、またしても迫ってきた。
そして、それを見た他の精霊にぽかりと頭を殴られる。

『ったくお前そればっかだな』
『う、うるせえなあー』

そのやり取りに、ふと夕食の時のホロホロと竜を重ねてしまって。
少しだけ、おかしくなる。

けれど。

スッと心に影が忍び込んだ。

「……ごめんなさい。わたし、まだ、詩あんまり知らないの…」

確かシルバさんは、だんだん記憶が戻ってきているって言っていた。
でも、今現在わたしがうたえるのは…もう、随分前。まだ日本にいるときに思い出した、あの祈りの詩だけ。
たったひとつだけ。

「……それでも、いい?」

おずおずと尋ねる。
すると。

『え!? ほんとにうたってくれるのか!?』
『全然いいよ、ひとつでも聴けるなら!』
『うわあ、おれ星乙女様の詩聞けるのなんてはじめてだ…』
『おれだって!』
『はやくはやくっ』

再びマシンガンのようにどっと精霊たちが押し寄せてきた。
その瞳はきらきらと期待に輝いていて。
一瞬びっくりしたも、思わず口許が綻んでしまう。

「―――じゃあ…」

本当は少し、恥ずかしかったのだけれど。
歌おう。そう思った。
この子たちのために。

は姿勢を正し――――すぅ、と息を吸い込んだ。





ちはやぶる きみがみもとへ やすらかに
あまねきいのち かへりゆかむ






静かな歌声が、さざなみのように、ゆっくりと広がっていく。
それは大地を、木々を、空を―――万物を、緩やかに癒していくような。優しく慰めてくれるような…そんな歌声。

すべてのものが眠りにつく。
鎮めの詩に導かれて。

魂を、休める為に。



――――うたい終えると、は小さくぺこりと礼をした。
そして、周囲にじっと佇む精霊たちを見回す。

…あれ?

ふとその、面々に浮かんだ……どこか浮かない表情に、は面食らった。
どうしたんだろう。
……失敗、しちゃったかな…。

『…なあ』

そんな中、ひとりの精霊がおずおずと進み出てきた。
それは、あのリーダー格の精霊だった。

『お前さ……今、何か悩んでることとか、あるのか?』
「え?」

その予想外の言葉に、は目を丸くした。

「ど…どうして?」
『いや……おれ達はさ、精霊だろ? つまりお前たちでいう精神体そのものなんだ。 だからお前の詩に宿る―――微かな感情も、おれ達にははっきりわかっちまうんだ』

精霊は、ばつが悪そうに頭を掻く。
今のお前の詩は…優しいけれど、何処か―――哀しかった。
そう、言った。

は言葉を失う。
それが―――小さなきっかけ。

原因なんて 自分自身が一番、痛いほどわかっていたから。



次々と思い起こされる、あの、様々な感情。
まるで堰を切ったかのようにとめどなく。
リゼルグの顔と。
…蓮の、顔。

小さな波紋はそのまま、他の波とぶつかって、やがて大きなうねりを生み出す。



「わ、たしっ…」

ざわ、と精霊たちが動揺した。

嗚呼だめだ。
もう、我慢できなかった。
せっかく抑えてきたものが、まるで砂のように呆気なく崩れ落ちていく。

「わたしっ……もう、どうしたらいいのかっ……わからないの…!」

ぽろぽろと。
涙が後から後から溢れてきて。
どんなに腕で拭っても、それは止まらなくて。

先日リゼルグから貰った、たくさん、たくさんの言葉。
―――ううん、ちがう。ちがうの。
そうじゃなくて。
もっと、もっと根本にある、何か。

こんなにも沢山のことが心配で。
こんなにも沢山のことに、押し潰されそうで。

胸が苦しいよ。
まるでぎゅっと鷲掴みにされたみたいだ。


あたふたと、精霊が近寄ってくる。

『だだだだ大丈夫かっ?』
『泣くなよう…』
『そんなに何を悩んでるんだよ…』

『……なあ、何がそんなに…気になるんだ?』

お前の気持ちが、どんどんおれ達に流れ込んでくるから。
だからおれ達も哀しくなってしまうんだよ。

泣きそうな顔で、精霊が促す。

『いいから…自分が気になっていること、ぜんぶ言ってごらん?』

それを聞いて―――泣きながらもは必死に考えてみた。
考えて、言葉で挙げてみた。



「……ッ…リゼルグ、本当はすごく優しいの…優しい人なの…でも、でも、リゼルグの笑った顔を見ると、何だかすごく、もやもやして」

『うんうん…それで?』

「もやもやして、どきどきして、……っでも、そうなったあとはいつも、凄く悪いことをしたような気になるの…!」

『うん…』

「でも…リゼルグ……! 最近、様子がおかしいのっ…いつもどおりの筈なのに、何かがちがうの…」

『そうか……それから?』

それから。
…それから、

―――――――ああ、感情が、あふれてくる


























「蓮と……、また元通りになりたいのっ…!」


























以前みたいに。
話をしたり。
笑いあったり。
怒ってくれたっていい。

なんでもいいから―――

また、あのひとの。
傍にいたいの。





『―――――…そ、っか…』

精霊が、その小さな小さな掌で。
ふわりとの頬を、撫でた。

『お前さ……そいつらのこと、好きなんだな』
「え……?」
『その、リゼルグって奴と…蓮って奴のこと』

思わずは顔を上げた。
涙を拭うのも忘れて、精霊を見つめる。
精霊も、優しくを見つめ返した。

『そのリゼルグって奴も、蓮って奴も…きっとお前は、どっちも大切なんだろうな。 お前が抱いている気持ち、おれ、知ってるよ。昔ここに住んでた人間達も、同じ気持ち持ってた。

 ―――“恋”、ってやつ』

「こ、い…?」
『ああ』

照れくさそうに、精霊は頷いた。

『どんなに離れても、また逢いたくて。どんなにつらくても、嫌いになれなくて。気恥ずかしくなったり、どきどきしたり…時には眠れないほど、気になって気になって仕方がなくなる。相手の顔を見る度、どんどん膨れ上がっていく。そんな気持ちを、人間は恋って呼んでたよ』

“恋”―――
初めて耳にした単語の筈なのに、どこか懐かしくて。

『でもな』

不意に、精霊が声を落とす。
真剣な眼差しで。

『いつかは決めなくちゃならない…今よりも、もしかしたら苦しい選択を、いつかはしなければならないと思う』

二人の人間を同時に好きになることは有り得ても。
それをずっと続けることは、絶対不可能なんだ。
だから。
お前が後悔しない道を、選択するんだよ。

そう言うと、精霊は不意に、にっこりと笑った。

『それで、あんなに悩んでたんだなあ…どうりで。
 ―――でも、大丈夫だよ。お前がそう望むなら……心の底からそう願うなら。絶対に、叶うよ』

信じる力。思いの強さ。
それがこの世界の真のルールなのだから。

『きっと、だいじょうぶ』

最良な方向へ。
お前は、いける。

『な?』

ぱふん、と再びその掌が、の頬を撫でる。
霊体の筈のそれに、どこかぬくもりを感じて。
まるで凍った心もすべて溶かして、ほぐしてくれそうな。

「………うん」

いつの間にか止まっていた涙を、は袖で拭った。
夜も更けて、いよいよ冷え込んでくるという時間なのに。

じわ、と胸の奥があたたかくなる。
―――何かが生まれる。

これは…何?
小さな小さなぬくもり。
光。

これは―――



詩 ?



「……泣いてごめんね。―――ありがとう、みんな」

涙を拭いて。
はすっと背筋を伸ばした。
わかる。
感じる。
新しい、光。

大丈夫。
今なら、出来る。
そんな気がした。

「もういちど、うたうから」

この生まれたての小さな光を。










凛。
空気が、震える。

すべてが、耳を傾けた。





詩を奉げよう あなたのために






鳥ははばたきをやめて。
風はそよぐのをとめ。
星が静かに瞬いた。





清らなる水を
鮮やかなる炎を
しなやかなる緑を
厳かなる土を






それは、この星に生まれた、すべての生きとし生けるものへの捧げ詩。





詩は絆 魂を繋ぐもの
詩は糺 真のこころ


そこはすべてが始まり 終わる場所
光と叡智は 尊き命が為






乙女は、うたう。
聖なる詩を。





さあ謳おう 民が忘れし調和
限られたこの生命 果つるまで


わたしは風
あなたを慈しむ風
わたしは道彦
だからどうか迷わずに



いざ天空へ…











凛――――……




















またひとつ。
運命の駒が、進む。
定められし刻へ。




















(―――からだが……おも、い…)

詩は、予想以上に精神力を要するらしい。
安心感なのか、疲労なのか―――
猛烈な眠気が襲ってくる。
瞼が、意思に反してゆるゆると降りていく。
は耐え切れずに、ゆっくりとそれに身を委ねた。






力尽き、薄れていく意識の中で、は確かに聞いた。
精霊たちの声を。

『恋、かあ……相変わらず、随分人間臭いんだな。星乙女様って』
『そうだなー。まっ、そこがいいとこなんだけど』



『―――でも』



『今度こそ、うまくいくといいな』



最後の一言は、確実にに向けられたもの。


(“今度こそ”、って……)

どういうことなんだろう…?


けれど、それを言葉に表す前に。
の意識は、途切れた。